このページでは、事務職→エステティシャン→専業主婦→ライターと、現在にいたる道のりを綴っています。

20代の頃、美容の仕事をあきらめていた私がなぜその業界に飛び込むことができたのか?

エステ留学をした理由や失敗談などなど…。

私の人生の断片をちょっと覗いてみてくださいね(笑)。

美容の仕事は夢のままでいいと思っていた

私がエステティシャンになったのは社会人になってからです。そう、いわゆる遅咲きの転職組です。大学では心理学を学び、同時に教員免許も取りました。教員免許を取ったのは親が教師だったため暗黙の期待があったからです。結局、教師にはなりませんでしたが、大学卒業当時はバブル崩壊後のお寒い時期。世の中は安定志向が強まり公務員が人気職種となっていました。

そんな中、好きなことはメイクでした。当時大活躍していたメイクアップアーティストの藤原美智子さんが大好きで、記事が載っている雑誌や出演するテレビ番組は必ずチェックしていました。美容に目覚めたのが大学生になってからでしたので、急に進路を変えるわけにもいかず叶わない夢のままで終わらせていました。

運命を変えたもの

ある新聞記事が私の運命を変えます。それは、沖縄県内初の社会人向けエステティックスクールが誕生したという記事でした。

社会人向けのクラスは毎週日曜日の朝から夕方まで。肌のことを勉強するうちに、メイクを施すだけでは美肌は叶わないということがわかります。「土台」となる肌づくりをしないとメイクが綺麗に仕上がらないこと、そして、土台が整えば薄化粧でも美肌に見えることなどなど。

今はインターネットで情報がすぐ手に入る時代。普通なら初心者でもわかるようなことですが、当時はネットもそれほど普及しておらず、得られる情報はテレビや雑誌から。恥ずかしながら、私はスクールで学ぶまで肌や身体について知らないことばかりでした。

エステティシャンの資格を取るためには1000時間以上のカリキュラムをこなさなければなりませんでした。週に一度の授業でこなすには長い時間がかかります。おかげ様で約2年間かけて卒業し資格試験にも合格できました。

卒業する半年ほど前に、学校からの紹介でリゾートホテルのエステサロンに就職が決まりました。就職といっても当時は非正規雇用が当たり前。アルバイトとしてスタートです。これが私のエステティシャンデビュー。29歳のときでした。サロン業務をしながら学業も両立するというハードな日々でしたが毎日がとても充実していました。

講師も経験

リゾートホテルに勤務後、ほどなくして母校のエステスクールに戻り講師を務めました。当時の沖縄県は観光業発展のためにスパ・エステ産業を盛り上げようという気運が高まっていました。それに伴いエステの国際資格が注目され始めます。国内資格はもとより、高い資質を持つエステ従事者を育てようと国際資格が取得できる認定校ができました。勤めていた学校でもその流れが出てきました。

国際資格の試験は協会本部から試験官が派遣されて実施されます。つまり、外国人の先生方がやってきて厳しく審査されるというわけです。そこで疑問がわいた私。「外国のエステのやり方・考え方は日本と違う?それとも同じ?違いを知りたいのであれば、外国で学ばないと本当の意味で国際資格を取得したとは言えないのでは?」それから一念発起。講師を退職し、留学を目指すために語学学校へ通い始めます。それが33歳のときでした。

34歳でイギリスにエステ留学

34歳のときにロンドンのエステスクール「The London School of Beauty and Makeup」へ入学しました。イギリスにしたのは沖縄出身の幼馴染がそこに住んでいて、その妹さんがこの学校の卒業生だったからです。友人家族の助けを借りながら1年間のロンドン生活が始まりました。

語学学校で学んだとはいえ、英語のレベルがまだ十分でなかった私は学科の授業でかなりの落ちこぼれでした。実技は経験者だったのでどうにかついていくことができましたが、学科は日本語で学んだ内容が全部英語に置きかわるため単語が覚えきれません。毎日筆記テストがあり、骨や筋肉の名称を英語で書くことができずに悔しい思いもしました。悔しすぎて日本語で書いたこともあります(苦笑)。もちろん先生は英語でないと相手にしてくれません。

カリキュラムの後半は「サロンワーク」というものがありました。学校が運営するサロンで実務経験を積みながら、学んだことを実践する場が提供されます。お客様は一般の方々です。お金を払って施術を受けに来てくれるのです。授業の一環とはいえ責任が伴います。施術終了後はお客様から評価を頂きます。評価は担当の講師と共有され、フィードバックを受けることができました。コトバが通じなくてコミュニケーションが上手くいかず低評価だったこともあります。逆に、高評価をいただいたこともありました。

このサロンワークで得られたことは、コトバうんぬんではなく、様々な人種・年代の肌に触れられたことです。さらに、何故この施術を受けたいのかという「ニーズ」を把握することもできました。例えば、「結婚式前だから腕・ワキ・背中のワックス脱毛をお願いしたい」だったり、「まつ毛と眉毛の色が薄いから染めて欲しい」などなど。まつ毛染めなんて、日本ではあまり聞きませんよね?白人さんのまつ毛は黒色でないことが多いので、染めたい方が多いのです。色が薄いとボヤけた印象になるからです。そして、「マスカラを落としても黒いまつ毛&眉毛でいたい」というニーズがあるのです。一方で黒人さんはオイリー肌が多いことから、皮脂を取り除いて毛穴を引き締めるようなフェイシャル施術が好まれました。

そんなロンドンの学校生活と普段の生活…毎日がサバイバルでした。すると、半年ほど経つとホームシックになりました。故郷への思いがこんなにつのるなんて…あの時の気持ちは忘れられません。耐えられなくなり年末の冬休みにいったん帰国。家族や友人に会い、お正月を日本で迎え、美味しい和食を食べることができました。そうすることで気持ちの充電ができ、残りの留学生活をポジティブに過ごすことができました。

こんな状態でしたがどうにか国際資格を取得して1年間の留学を終えることができました。当時支えてくれた友人たちには本当に感謝しています。

帰国後はブライダルエステに従事

帰国当時は35歳。再就職が厳しくなる年齢での挑戦です。いろんなサロンに応募しましたが、とある所では「キャリアがありすぎて給料が払えない」という理由で採用を断られたことがあります。

今思うと、年齢など他の理由もあったのかもしれません。振り返れば笑い話ですが、就職への焦る気持ちがどんどん膨らみ不安を抱えながらの就職活動。帰国後5か月目、ありがたいことにブライダル会社が運営するエステサロンに採用が決まります。今度は正社員です。ここで4年余り勤め、最後の2年ほどは店長まで務めさせていただきました。

プレッシャーでストレス症状に悩まされる

店長になってちょうど1年が経った頃、出社する時間になると吐き気をもよおすようになりました。最初は気のせいかと思っていましたが、何度も繰り返すようになります。しかも、売上の発表をする会議の日は症状が強くなるのです。「これは…まさかの○○症状⁈」大学で心理学を学んでいた私がまさか自分がなるなんて想像もしていませんでした。

その間、免疫力が下がったのか、帯状疱疹になったり、膀胱炎で血尿を出したことがあります💦

売上を追いかけ、達成のノルマがプレッシャーだったようです。いくら好きな仕事でも、自分を追い込みすぎるのは人間、良くないのだと痛感しました。さっそく大学時代の友人の紹介で心療内科を受診。お医者さんに「あ~、軽いストレス症状だね。病気じゃないからまだ良かったね。次からは心理士によるセラピーを受けに来てね」と言われました。

「おかしいな…」という段階で受診するのが大切なのだそうです。その後、何度かセラピーに通いました。現在は通っていませんが、身体は覚えているもので、強いストレスを感じると同じような症状がひょっこり顔を出すことがあります。

元々ワーカホリックの気(け)がある私。働きすぎとストレスには気を付けたいものですね。

結婚、退職、介護、自宅でできる仕事を模索

39歳で結婚。それを期に会社を辞めて専業主婦に。ストレス症状で体を休ませたかったことと、妊活もしたかったので職場を離れることにしました。

結婚直後は自宅サロンに憧れてやってみるものの、集客で挫折…。その上、我が家は2LDKの賃貸アパート。プライベート感満載の部屋で接客をするのはお客様に申し訳ないと思い断念しました。当時は起業家としてのマインドが足りなかったのだと反省しました。

結婚後、3年ほどして義理親の介護が始まりました。介護に時間がとられる中、それでも美容関係に携わり続けたい…とずっと思い続けていました。ただ、エステは体力仕事です。アラフィフを迎える私が今後も続けていくには限界が早くきてしまいます。探しているのは、「自宅でもできて、60歳を超えても続けられる美容関係の仕事」。それも、施術以外の仕事で。

見つけたのは「書く」仕事

見つけたのは書く仕事です。ブログを始めたのもその理由の一つです。そして、コスメコンシェルジュの資格取得、コスメライターの講座を受け、エステの知識に化粧品の知識を上乗せした情報が発信できるようになりました。

ライター講座で学んでいくうちに、薬機法や景品表示法の知識がないとまともな記事が書けないと痛感させられました。法律は大の苦手な私。エステティシャンにも関連する法律なのですが、当時は「難しい」と言っては避けてきていました。でも、書くためには絶対必要な知識です。「これはちゃんと学ばないとマズイ💦」と思い、薬機法の講座やセミナーをバンバン受け始めました。2021年にはコスメ薬事法管理者の資格を取得。2022年には、より実践的な内容が学べる薬機法オンライントレーニングを受講し、薬機法に配慮したセールスライティングの基礎を学びました。

ここまで読んで、「資格マニアか⁉」と思われるかもしれませんね(笑)。資格が増えてしまった理由は、美容情報はとても速いスピードで変化するからです。化粧品は季節ごとに新しい商品が登場しますし、成分もどんどん新しいものが出てきます。情報のアップデートをしないとついていけない業界なので、常に学びが必要なのです。それが資格にも繋がっている…そんな感じです。

ここまで、29歳から美容の道に進み、現在に至るストーリーをまとめました。このブログでは、今まで培ってきたキレイになるためのエッセンスをメインに、アラフィフ目線のライフスタイルや私自身の人生観を書いていきます。どうぞよろしくお願します!

取得資格

◆日本化粧品検定協会認定 コスメコンシェルジュ

◆日本化粧品検定協会認定 コスメライター

◆薬事法有識者会議認定 コスメ薬機法管理者

◆クラウドワークスWebライター検定3級

◆シブタック(CIBTAC)ビューティーセラピスト

◆シブタック(CIBTAC)ボディーセラピスト

◆日本エステティッック業協会 上級認定エステティシャン

◆教員免許(高校地理歴史)

◆図書館司書教諭

⇓ 更新はせずに合格のみの資格 ⇓

◆日本アロマ環境協会アロマテラピーアドバイザー

◆日本ネイリスト協会ネイリスト技能検定3級

◆日本スパ振興協会スパアドバイザープロ